じゃん!

先週予想したとおりとりあえず原発報道は落ち着きましたねー
ただ先週書こうと思って長すぎるから後回しにした停電とか節電関係の話題がじわじわと膨らんできました。
東電の計画停電、今夏・冬も 大規模火力発電所、被害大(asahi.com) 新聞の記事。
東京電力の計画停電を考える(ブログ-西陣に住んでます) 個人ブログ。具体的な数字に説得力有り。

冬もかぁ…ってのはとりあえず置いといて、夏ですよ夏。
今の時期の計画停電だったら電気が止まっても大した支障はないかと思うんですよ。電気じゃなくても空気の温度は快適に出来ますしこの際布団に入っててもいい。あと外気がそれなりに冷たいので冷蔵庫もそれほど心配はいらないだろうし。
いやホント夏ですよ。だってガスで空気を冷やせる家庭なんてそうそう無いだろうし、3時間も停電してたら食べ物だって悪くなっちゃう。東電の範囲で死ぬほど寒すぎる場所はそんなにないだろうけど、ほとんどの地域では死ぬほど暑くて死んだ例が少ないながらあるわけで。これはすごいことになるかもです。
さらにさらに、今と違いほぼ絶対エアコンが稼働するので各々の家の消費電力があがるわけで、そうすると停電世帯はもっと増えると思います。──あーさっきリンクした記事に書いてあったね。333万世帯かぁ。これは東京界隈以外のほとんどが同時に電気を切るぐらい勢い。
ちなみにここ最近の計画停電も然りなんですが、停電すると予備電源がある物以外全部切れるので信号も切れちゃったりするのです。多分都心で停電を避けてるのは誘導員を付けないといけない交差点とか付けても混乱するだろう交差点が多すぎるからかと個人的な想像。てことで都心部を除いて333万世帯っていうととんでもない範囲になるんじゃないかと。

てことでこの夏はエアコンが動かないと見込んでおくべきかと思うんですが、つまるところ屋内はコミケの会場内みたいな感じで、電車はコミケの東西連絡通路が風通し良くなった感じってぐらいですかね。
──未曾有かと思いきや意外と普段体験したことがあった程度なのかも。…いやいやでもそれが毎日かぁ。

あと、みんなの節電がんばってるなーと思う反面、これが半年続けられるのかというとどうかなと思うとこもあり。
多分梅雨辺りになると自身がどうこう、みんなで協力して乗り切ろうどうこうっていうのを忘れ初めて、かつイライラするような湿度に悩まされ始め、だんだんみんなの気がゆるんでくると思うんですよ。なんだかんだ言っても背に腹は替えられずスイッチ付けちゃうはず。
あと例大祭が5月に出来るぐらいだから夏コミはやるでしょうし、そうするとパソコンを切って紙に絵を描くよーと言ってた人もパソコンを付け出す──のは梅雨なんて待たずにもう付けてるかと。
それにプロ野球だとか豊島園だとかみたいなのもいい加減営業しないわけにはいかなくなるだろうし、その辺の塩梅をどう取り持っていくかも考えないといけなくなってくるかと。夏になれば野球はデイゲームで十全とも言えなくなるけどかといって西日本だけでやるってのも球場周辺で商売してる人に言わせれば困るだろうし。こればかりはお得意のばらまきで解決してもらうしかないかもなぁ。

ただよく「都心の熱さは異常。風がぬるい。」とか言われるのがエアコンの室外機の廃熱だとすれば、今年のエアコン抑えめの夏は意外と温度上昇が抑えられるのではないでしょうか。
うちは子どもの時冷房のリモコンが好きで自称冷房ON担当だったんで30度を超えたら無条件で付けていいみたいな特例権限も与えられてたのですが、年に10回もなかったと記憶してます。意外に熱くなかったんだねーわかるよー
今年の夏、エアコン無くても意外にしのげた?みたいな流れになれば温暖化の抑止になったりして。…とか思いながら。

そういえば直後に当日のことを書いてたので陳腐化する前に載せておこう。書きたい事が押して来ちゃったので長くても振り返らないよー
地震すごかったですねー。程度で済んでない状況。まぁとりあえず自分はぴんぴんだったりします。
地震の時は事務所で事務仕事してたんですが、前々から車が通るだけで揺れる事務所だったので数字よりも大きく揺れたような気がします。河地だしスパンの長い鉄骨造だし。ってか元倉庫らしいし。テレビで見るみたいにコピー機がすごい早さで滑走してました、あと戸棚の本も軒並み落ちてたし。でも棚とかは倒れなかったなぁ。
で、仕事柄ここで動かないと行けない職場なので行動するよ! ──と思ったら携帯電話が通じないから動けない。
どうしようかと悩んでるところにまだ本運用になってない某課が設置した災害用トランシーバーが。使い方分からないけどちょっといじってたらどうにかなったのでみんなに持たせて今度こそ出るぜ! …と意気込んでたのに機械分かりそうな人が既にみんな出ちゃってたので留守番・情報班にさせられちゃいました。相変わらずのパソコン作業でおもしろみないわー
・11日19時 なんて言ううちに色々収まって帰れる人は解散と言うことに。うちの職場は結構地元が多くて3分の2ぐらいは帰っちゃいました。うちはバスで帰れないことはないけどテレビで混んでるって言ってたから時間をずらして出ることに。ここで残ったメンバーの夕飯を買い出しに行ったら既にコンビニはおにぎり・パン・弁当は95%売り切れ。残りを買い込み配る。
あと家に電話してみたら繋がって全く平気とのこと。それどころか笑い話までされちゃいました。一応仕事中ってことになってるんだけどー
・11日22時 三田線と銀座線が動いたって事で出てみることに。多分渋谷の混雑もある程度解消しただろうしね。とりあえず(三田線)-御成門-(徒歩)-新橋-(銀座線)-渋谷かなー、と。
てことで退所。のちに帰宅難民の仲間入りをするなど思いもしなかったのである──
・11日23時 なんか半蔵門も復活したらしいので、(三田線)-神保町-(半蔵門線)-渋谷にルート変更。
ただ動き出したばかりだったみたいですごい混んでました。当たり前っちゃ当たり前だよなぁ。どうやら田園都市線も同時に復帰したらしくその混雑が大きかったみたいなので、青山一丁目で銀座線に乗り換えて渋谷へ。少しだけすいてました。
・11日23時 渋谷に着き最寄り駅まで行けるバス停に行ったらすごい行列。どうやら電車が急に動いたから人が増え、それに対し小田急バスは特に増便をしなかったからみたい。
渋54系統は玉川通りを全然通らないんだけど他のは玉川通りを走るんで歩道橋に上がって見通してみたらある程度は流れてたので、躊躇わず農大前を通りそうなバス飛び乗り仲間とダベらず黙々と発車を待ったり。
・12日1時 なんか急に玉川通りが渋滞し始めて、道玄坂を上がるのに1時間とかかかったのでバスを降りてやっぱり徒歩で帰ることに。ってか待ち損でした。
・12日2時半 途中ですいすい流れてるバスが来たのでそれにまた飛び乗ったりしながら、結局1時間ちょっとで8km移動し家に到着。色々と判断ミスが多くて全く思い通りに行かなかったけど地理にも少しだけ詳しくなったし、まぁいいかーみたいな。
あれだけ揺れたら家が崩れててもおかしくないなぁと思ってたんだけど、家は端からは時まで全て無事なのには驚きました。やっぱり職場ほど揺れなかったんだろうなぁ。
で、翌日も情報要員で仕事に行ったけど、地震当日の交通事情もあってか下り方面がすごく混んでました。
ダラダラしてきたところでとりあえず大変だったけど少し楽しかったのですと綴じたりー。

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