おっぱい

子供の頃から絵を描くのが好きだったんです。あ、おっぱい限定じゃないよ。
この目を引くだけの微妙なタイトル、後ほど伏線として回収するんで。

はい、子供の頃から絵が好きでして、なんなら生まれたときからと言っても過言ではないぐらい。
覚えてるのは、例えば幼稚園児の頃、白紙の絵本を渡されてクリスマスの絵本を作ったり。例えば小学生の頃、適当な紙とホッチキスで8ページの中綴じ本(右綴じじゃなく!)を自作し連載漫画とか読者コーナーを作って妹に定期的に渡して遊んだり。中学あたりでこちら側の絵を描くようになってからはご存知のとおりサイトを構えweb漫画をたまに描き同人を出したりしてるわけで、まぁ人生ずっと絵を描いて創作をしてるんですね。いやぁ振り返るまで気づかなかったけど幼稚園生の頃から同人誌を作ってたとは。

色々複雑になるんでこちら側の絵を描くようになった以降に絞りますが、描き始めてからしばらくは人並みに「なんかうまく線が引けないなぁ」とか「早くうまくならねば」とか思い続けてたたわけです。
やっぱり思ったものをさらっと描けたほうが楽しいし、より多くの人に見てもらえたほうが楽しいじゃんすか。

そして注目の(?)中二の時、妹がハウトゥ本を買ってきたんで、それを時々見せてもらい「そうかこうやって描くんだ!これで上達の一途だぜ!」と思ったものの、うまく吸収できずなんだかカチカチの変な絵しか描けなかった。
で、ハウトゥを叩き込むだけでは絵は上手くならないって反省しまして、教本から学ばずフィーリングで描き続けるって上達方法をとることに。
……はい、お察しのとおり全然上手くならないんだなこれが。
それでも漠然とアクセス数多いイラストサイトを見て漠然とそうなれるような気はしてたような気がします。

そこからしばらくして、同人始めたぐらいか、もしくは仕事で2つ目の部署に異動した頃か、FireAlpacaを導入した頃かはわかんないですが、めきめき上達する未来を目指さず息抜きとしてのお絵かきでもういいのかなーと割り切り、楽に考えることにして自己肯定爆上げに切り替えてきました。
ひとつひとつの絵にこだわらず、とりあえず仕上げることにし、ワンドロでどんどん絵を描いたり、それまでじゃ描けなかったページ数の漫画を描いたりもできるようになった。
自己肯定爆上げに関しては、一週間ぐらい毎朝自分の絵を見ながら「かわいいよなぁ」とか思ってたりね。自己肯定低いのもアレだけど、高すぎるのも進歩止めちゃってる感じがまた微妙だよなぁ——まぁともかく。

で、それなりの頻度でサークルの人が出るイベントに合わせてどんどん漫画を描くって状況が、その後コロナによって一段落しちゃったんですね。
コロナ突入して即その状態になったかと言うとそうでもなくて、10年以上前に描きかけてた心剣ゼミ勧誘漫画を完結させたり、去年のGWに頒布したにとりメタモルフォーゼ新装版を仕上げたり、名刺に載せてる秘密のアドレスで描いてた漫画を完成させたり、絵じゃないけどサイト改装したりしてましたけど。
その辺も一段落して、ちょっと立ち止まって考えるうちに、今まで全く感じなかったようなことを感じるようになってきたので、心境変化を半分は備忘録として、半分はブログ更新ネタとしてここに書いてみようかと。

何が描きたいの?

うちの絵には作者こだわりが込められてないんじゃないかと思い始めたんですね。描きたいものはなんなの? 表現したいものはなんなの?

誰かに言われたわけじゃないけど、確かにこだわりはない。ある程度様になる絵は描けるようになったかなと思いながらも、ネットで見かけるような、どちゃくそにポップな絵とか、質感をまざまざと表現した塗りとか、まるでそこにいるような情景とか、くっつきたいと思ってるけどなかなか踏み出せない二人がいつまで経っても踏み出せないまま過ごす漫画を描きたいとか、自然な仕草を描きたいとか、うちの絵にはそういう魅力がないなと思い始めた。わるい意味で正直すぎなのでは?とか。
あ、漫画に関して言えば日常系は好きですし描きたいとは常に思ってて、ずっとなにも起きないのが日常系だと思うんで、それを描きたいものがあると捉えると「なにもない、があるのよ!」的な解釈になるような気もしますが。
まあでもやっぱ世の日常系だってやっぱり、これでもかと言うぐらい仲良し女子高生がいちゃいちゃしてたり、バンドとか冒険とかいうテーマがあったりするわけで、うちの作品はその辺り薄いよなぁと。
イラストに関しても、教科書の挿絵とか、他愛もないチラシのカットイラストみたいな絵が好きなんで、ある意味フェチを一つも感じないクリーンルームで水耕栽培したみたいな絵もそれはそれで一つの表現したいものと言える答えなのかもだけど。ただその答えじゃ納得がいかない…。

などなどいろいろ考えて、最近はイラストとはフェチを宿すものなのではと考え始めてきた。
絵を描こうと思っても描きたいキャラもポーズも無いって状態の正体に気づいてしまったんです。無くはないはずなんだけど、そこにフェチが宿ってないから「有る」と言い切れないんだ。

こだわりのある絵になりたい

こんなことを感じまして、こだわりポイントがもっとあっていいんじゃないかと思い始めたり。

てことで、とりあえず柔らかいもの(質的だったり精神的だったり)を柔らかく描きたいと思い、その一環でおっぱいがある絵を描いてみようとするんですが、まぁ手癖で描けるわけはなく「じゃあうちのPC内に良い資料になるイラストないかなー」と漁ってみると驚くほどにおっぱいある画像がない。意図的に避けたつもりはなかったけどここまで無いものかと。うーん、今までにない考えだったんだろうなぁ。

もともと描けないものは描かない主義だったんで困ってはなかったんです。なにしろ今も男が全く描けない。だから描けなかった二次創作もややありました。やや、ね。
にしても逆にいままでよくおっぱい描かずに済んでたなと最近急に思うんです。そんなにお子様ばっかり描いてたかっていうとそうでもないつもりなんだけどどうしてなんだろう。

あと感情も表面的なものしか描けてないと思い始めてきた。表情はそれなり描けてるかもだけど、表情以外にも感情が現れる部分ってあるわけだし。そういえば漫画のネームを書いてる時に人の表情とかポーズのバリエーションが乏しいなと思ってたけどこういうことだったのかも。

てことで、目だけは引くタイトルでつらつら喋りまくってましたが、以上、当初は「うちの絵に思うこと」ってタイトルだった記事でした。正解はどっちだ(タイトルの話)。